SSブログ

七宝会総会に出席してみた(その2) [母校]

19/8/18(Sun)

前日土曜日に母校の同窓会総会が岡山であった。岡山在住の友人と来年も行こうと約束していたので、帰省客で満席の高速バスに揺られて行ってきた。

岡山出身者も多いのか、昨年の倍くらい100名程度の出席者がいた。昭和29年卒業の大先輩から、平成20年卒業の30代まで賑やかだった。昭和59年卒業の同級生は6名参加。卒業以来の同級生や、部活の先輩、前の職場でお世話になった先輩やら30年数年ぶりの再会は、懐かしくもあり楽しかった。最後は校歌に始まり、寮歌や無線音頭を歌うのだが、旧寮歌や新寮歌を含めて10曲もあって懇親会場の賄いさんも「歌の多い学校ですね」と笑っていた。「北はアラスカヨー、南はパラオヨー、トンツトンツのヨー、旅がらすソカヨー」なんて今じゃ理解してもらえんよね。「ベラヌ号(5)」(スクールバス)や「ムヨレコ丸(0)」(スクールボート)なんてマニアじゃなきゃわかるまい、渋い命名だなんて感動していた(ベラヌ5は和文モールス符号で短点が一つずつ増えていく、ムヨレコ0は長点が一つずつ増えていく、なんて美しい名前なんだ(笑))。

2次会は繁華街で同期と後輩で帰りの新幹線の時間まで飲み過ごす。旧態已然の免許護送船団の会社に勤める私から見ると、外資系のネットセキュリティ会社に勤める後輩なんぞまったく違う世界だわな。都会で勤める連中は結構スマホ決済を利用していて、都度財布と小銭入れを用意する私なんぞはやっぱり田舎者だななんて刺激を受けた(田舎じゃ必要性ないしなぁ)。

私はせっかくなんで1泊泊まって、岡山名物あなご飯を食べて帰ってきた。

IMG_3619.JPG

先日の台風10号でまたまたブームが廻ってしまって、また元に戻さねば(苦笑)。

IMG_3623.JPG

本日の高知市の天気 雨時々曇り 最高気温 26.7℃ 最低気温 23.7℃
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

七宝会総会に出席してみた [母校]

18/8/26(Sun)

同窓会の総会が母校であったので参加してきた。

IMG_2761.JPG

JRで詫間駅に降り立つなんて、卒業して以来34年ぶりのことだ。あの頃は国鉄だったし、単線で気動車だった。今や電化され複線化されている。残念ながら学校ヘ向かう琴参バスは撤退しているらしくコミュニティバスしか走ってなく、JRに接続もしてないのでタクシーで母校に向かう。

IMG_1820.JPG
IMG_1822.JPG

お店の名前は変わってしまったが(笑)、校門から校舎、寮へと続く桜並木は美しい。校舎に乗っかる鉄塔とロングワイヤーも銀色に輝いて胸が高まる。毎日毎日、電気通信術!の送受信の授業があったなんて、まさしく昔の話しでしかない。5年間、よくがんばったよなぁ、くそ暗記で一通、一技も取れたし(苦笑)

IMG_2744.JPG

南寮は取り壊されていたが、北寮と新たな寮が2棟できていた。文通相手!からの手紙を待ちわびた郵便受けやら家族からの電話を取り次いでくれた電話当番室、先輩に長時間正座させられた第2集会室やら懐かしい、15歳から20歳まで本当に青春時代だった、こんな隔離された田舎でよく過ごしたもんだ。

IMG_2758.JPG

総会は高校時代の先輩が半分、高専時代の先輩が半分の50名弱が出席していた。特段議論する案件もなく30分くらいで終了する。卒業以来の同期に2人も会えて楽しかった、お互い50代半ばのおんちゃんだが面影があったぞ。今年が初参加とあって懇親会はパスして寮生活の同室だった友人と二人で丸亀の一鶴で骨付き鳥にかぶりつきながらビールを流し込む。35年以上前にこの一鶴本店の前を行き来して水島丸亀フェリーで実家に帰っていたはずなのだが、全然知らなかった。その頃は飲兵衛でないので当然だが、長い年月を経てまた再び所縁の地で友と酒を飲み交わせるのは最高に幸せだ。

来年は岡山で総会だそうだ、来年も参加しようかと思っている。

本日の高知市の天気 晴れ 最高気温 32.1℃ 最低気温 25.3℃


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

第二集会室 [母校]

10/04/28(Wed)

今朝の地元紙を目にすると母校の名前が・・、「寮の新人指導集会で3時間正座させて7人が神経マヒや過呼吸を訴えた」とか・・。まったくせっかくロボコンで名を上げているかと思ったのに・・。全国紙とか、スポニチとかもにも載ってるのね・・(苦笑)。 

ん~~ん、けど私も30数年昔に同じ目に合いました。
新人指導集会(?)という名目で、まぁ先輩が新人にガツンと一つ気合を入れるための集会でしょうか・・、歴代「第二集会室」と名づけられて怖い集会でした・・。それこそ共同風呂の終わりの19時だったか20時だったかその時間に畳部屋の「第二集会室」に1年生が集められて正座で上級生に指導を受けました、「おまえら態度がでかいんじゃ!」とか「なめとんのか!」って・・(まぁヤクザまがいと言われればそうでしょうが)、上下関係の分からない一年生にとっては20歳までいる五年制の縦社会を叩き込まれた覚えがあります。でも3時間はなかったような・・、22時点呼で消灯でしたからそれまでには終わってたようですが・・。

寮と言う共同生活なのでそれなりの指導は必要かと思います。指導する側も3時間ず~~っと正座させたわけではなくて途中休憩も挟んだようですが、体調不良を訴える人にはそれなりの配慮も必要かと思います。
新学期、間もないこの頃だと起床後に寮の屋上で寮歌を歌ってのどを潰すまで部屋に帰してもらえなかったり、はは、つらい思い出が蘇ってきます。確かにまったく理不尽だったよなぁ・・。(クラブの先輩がいるとすぐに帰してもらってた人とかいるもんなぁ・・)。寮と言う閉鎖的な社会が社会から孤立することのないように、後輩諸君には肝に銘じて欲しいと思います。

本日の高知市の天気 晴れ 最高気温 21.4℃ 最低気温 9.8℃


タイムワープ [母校]

09/08/15(Sat)

この秋に母校が同一県内の他校と合併して、その名前が消えてしまうと聞きました。
卒業して25年近く・・、何だか4半世紀近く同じ名前の学校が存在したのも不思議であり、また一方でなくなってしまう寂しさもあり、何十年かぶりに母校を見に出かけてみました。

P1002855.JPG

国鉄の駅はJRとなり、気動車が煙を吐きながら走っていた線路上には電線が走り(オイ、土讃線はまだだぞ!)、町内はバイパスが整備されたり、高知から片側2車線の自動車道で何の苦もなく小1時間で行けたり、あぁ25年ってすごいなぁと思いながら母校の前に立つと、しかしそこには25年前となんら変わりのないワイヤーアンテナの大鉄塔の建った校舎やら、グランドやら、寄宿舎やら・・、ん~~ん何だろうあの頃と少しも変わらない風景に自分がタイムワープをしたような、あぁそれでもってここには嫁あり子供ありの45歳のおっさんが立ち尽くしていたりして、時空のねじれに身がねじれそうな・・。

あの寮から学び舎に夢と希望を抱いて暮らしていた頃、それでも卒業の頃には国鉄の青函連絡船やら電電公社の銚子無線局やら三光汽船やら少数ではありましたが通信士の求人があったりしました。わずか25年であるのに、やっぱり25年ってすごい歳月であることを感じざるを得ません、そりゃぁ統合されるはなぁ、今や通信士って職種がないもん・・。

そういう意味では自分に先見の眼はなかったでしょうか・・、5年間一生懸命学んだことの大部分は今や活用されない時代になってしまいました。まったくこんな辺鄙な学校でコツコツモールスやるより、都会の学校で華やかな大学生活とやらをエンジョイしてたほうがよっぽど良かったような・・、そんな思いさえもします。

それでも後悔って言葉は一つも思い浮かびません、そんなあの頃でもそれはそれで一生懸命だったし、そんな過去があるから今の自分があるのだし、何より自分が自分でそれを選んできたのだから・・。決して順調万般ではないけれど、今ある自分はそういうことの一つ一つの積み重ねでそうあることだと思うのです。そして我が身一つだけで今があるわけでなく、あの頃の恩師やら、同級やら、先輩やら、後輩やら、多くの人に支えられ、助けられて今の自分があることが、ここにくると身に染みてわかります。

悲しいかな・・、永遠ってことはないのだと思います。永遠にモールスを教育し続けなくても、南極であろうが太平洋のど真ん中であろうが誰もがどことでも安易に言葉を交わせることはすごい進歩です。ここで学ぶ後輩たちには特技に頼らない永遠を考えて欲しいと思います。古い伝統に固執することなく、新しい英知を期待しています。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。